KURUME QUALITY 職人の誇りが生む、揺るぎない品質

PHOTOGRAPHS BY KATUMI OMORI, moonstar

久留米クオリティ その一歩に、最高の品質を。

地下足袋の誕生からゴム産業の発展により栄えた久留米で、140年以上の長い月日のなか“精品主義”を脈々と受け継ぎ、ひたむきに靴をつくり続けてきたムーンスター。職人技が活きるファインヴァルカナイズ、人間工学に基づいたウォーキングシューズ、紳士靴や婦人靴、そして学校の上履きやベビー靴。一人ひとりの足、それぞれの歩みを支える靴を久留米の自社工場で培ったクオリティともに、これからも発信し続けます。

全社員の心に宿る“精品主義”

ムーンスター久留米工場の靴づくりを代表するのが、生ゴムに硫黄を加え、熱反応によりソールとアッパーを接着させるヴァルカナイズ製法と、加熱した合成樹脂を金型に流し込んで成型するインジェクション製法。特に、手間がかかるヴァルカナイズ製法は、国内では採用しているメーカーもわずかとなっています。しかし私たちは、しなやかで丈夫な仕上がりと美しい風合いを叶えるべく、頑なに昔ながらの製法を守り続けています。

そして、いずれの製法によってつくられた製品においても、ムーンスターの“精品主義”が貫かれています。ひとつの靴を生み出すためには、長年蓄積された足型データをもとに企画を組み立て、デザイン作成、素材の研究開発、身体機能の分析を徹底的に行い、試作品の履き心地のチェックはもちろん、各種検査機器により品質を精査し、厳しい基準をクリアしなければなりません。さらに工場のラインで組み上げられたのちに、入念なチェックをパスした製品だけが“ムーンスターの靴”としてお客様のもとへ届けられるのです。

その“精品主義”を貫徹する姿勢は、数字にも表れています。ラスト(木型)職人が代々技術を継承し、制作してきたラストの数は累計約1万6000種。そのラストを制作するための重要なデータとなる足型は、累計約26万人分を測定してきました。そして、ムーンスターの主力製品のひとつである学校の上履き。実は、1年間に約500万足もご購入いただいているのです。なかでも、上履き「はだしっこ」は開発までに4年をかけた製品。時間と手間をかけて世に送り出した靴が、ご好評いただいていることはうれしい限りです。

妥協を許さない、ものづくりの姿勢。これがムーンスターの“精品主義”です。

地下足袋発祥の地“久留米”で生まれたスニーカー

九州のへそと言われる久留米は、古来からの交通の要所であり文化や技術の交差点。この街で、地の利を得て発展していったのはゴム産業でした。

スニーカーの街“久留米”。

九州随一の大河である筑後川を有する筑後平野最大の都市、福岡県久留米市。江戸時代から続く伝統工芸の久留米絣、京都の伏見や神戸の灘に次ぐ規模の日本酒製造業といった様々な産業のなかでも、この街の基幹産業となるのはゴム産業です。

その発端となるのが1873(明治6)年に創業した足袋専門店「つちやたび店」。時代を先取りして足袋の大量生産大量販売を始め、大正時代に入るとアメリカ製のキャンバスシューズからヒントを得て、底にゴムをひいた“地下足袋”を開発したことから、スニーカー、ゴム長靴、タイヤ……と、久留米の街でゴム産業が盛んになっていきました。

この「つちやたび店」こそが、ムーンスターの原点。長い歴史のなかでムーンスターをはじめとするシューズメーカーが切磋琢磨し、久留米は今、高品質なスニーカーを生み出す街として、日本だけでなく、海外にも認知されるようになったのです。

スニーカーの街 “久留米”

140年以上継承されるものづくりへのプライド

一足の足袋を夫婦で仕立てていた足袋専門店の時代から、シューズメーカーとして歩み続ける現在も、一足にかける情熱は、変わらずに生き続けています。

脈々と息づく、クラフトマンシップ。

1873年、倉田雲平が久留米市米屋町で始めた「つちやたび店」。はじめは夫婦で力を合わせて足袋を仕立てていましたが、1894年にドイツ製のミシンを採用したことにより家内工業から工場生産へと拡大。この頃からすでに、従業員養成所を開設するなどして教育にも力を注ぎ、“精品主義”を徹底していました。

1920年に地下足袋の研究を開始し、2年後には生産スタート。そして1925年にスニーカーやゴム長靴を開発し、本格的にシューズメーカーとしての歴史が始まったのです。

輸出量が増加しつつあった1928年には、世界中どこでも通用するマークとして“月と星(ムーンスター)”印を使用。その後、つちやたび株式会社、日華護謨工業株式会社、日華ゴム株式会社、月星ゴム株式会社、月星化成株式会社を経て、株式会社ムーンスターが社名となりました。

“足袋王”の異名をもつ倉田雲平が掲げた「つちやたび店」の看板の“御誂向御好次第(おあつらえむきおこのみしだい)”の言葉。“一人ひとりのお客様に最適な靴をつくる”という想いは、長い歴史のなかで社名が変わったとしても、まったく変わることがありません。

そして2013年、140周年を迎えたムーンスター。ゴムの精錬、裁断や縫製に携わる職人だけでなく、工場で使用する靴型や機械にいたるまで、あらゆるものを社内でつくることができる職人集団として成長を続けています。積み重ねてきた技と受け継いできた志、履きものの歴史を紡いできた誇りは、今も脈々と息づいているのです。

久留米から、世界へ

日本人の足にとって最適な靴をつくり続けてきたムーンスター。海外の工場で生産された靴にも、もちろん久留米クオリティが息づいています。

久留米で培った品質は、はるか海を越える。

ムーンスターは140年の間、日本人の足をつぶさに研究し、最適な靴型をもって、最高の品質を備えた靴をつくるために努力を重ねてきました。今では、久留米工場でつくられた靴の評判は海を越え、海外のお客様からも注目されています。

久留米工場を統括管理する市丸工場長は、20年以上も製造現場に携わってきた立場として、海外部署での経験も生かして技術伝承に努めたいと語ります。

工場長インタビュー

「私は、中国に赴任していたときに、ナショナルブランドの工場をいくつも見て回ったんですが、そこで、技術力や生産効率において、久留米工場の製法が世界でも十分に通用することを実感しました。生産効率を高めることは、コストを下げ、確かな技術でつくられた製品を、広くお客様にご提供するためにも重要なのです」

「お客様に安定した価格でクオリティの高い靴を提供するには、現地の工場で、日本の工場と同じ技術でつくるのがベストです。そのためにも、この久留米工場で培った技術を世界中で活用できるように、海外の工場を指導していきたいと思っています」

「そして、久留米にはムーンスターで働いていた先輩方がたくさんいらっしゃいます。彼らの期待を裏切らないように、受け継いできた技術と誇りを、後輩たちにもしっかりと伝えていかなければなりません。それが、私たちの職人としてのプロ意識です」

久留米だけでなく日本の他の工場であっても、または海外であっても、あるいは時代を超えても、誰もが納得できる“久留米クオリティ”を毅然として貫いているのです。